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若林美保 「職業・ストリッパー」 オリジナルエッセイ vol .1

はじめまして!若林美保です。
普段はストリップの仕事をメインに、女優、モデル、 パフォーマー等、かなりマルチな活動をしています。 ぶっちゃけて言ってしまうと、自分が面白そうだと思うことは、 ジャンルや収入や変なプライドに関わらず、間髪入れずに飛び付いちゃっています。 まあ、自分の能力の限界もあるので、すべてのことをできるわけではないのですが。

若林美保

「タブレット」での連載を今回からさせていただくことになりました。「ダディ」に載った、A級小倉劇場での取材がきっかけでした。 普通、ストリップの取材というと、風俗誌やビデオ情報誌などアダルト分野の雑誌が多く、読者に「抜ける」と思わせる表現で記事 を書かれることが多いです。それが嫌いで取材を敬遠している踊り子さんも、まれにいます。それに気がついたのかどうなのか、 ダディの高野さんは私達に「風俗雑誌ではない、A級小倉劇場の事を純粋にトル取材したい」ということを真剣に話して下さいました。 取材に高野さんと一緒に来ていたカメラマンの木寺さんも素晴らしい方で、後で、撮っていただいた写真を何点かいただいたのですが、 どれも本当に綺麗で味があって感激しました。また是非撮っていただきたいなと思っています。  高野さんはその日一日、楽屋、ステージ、劇場、そして劇場の周りを取材しました。そしてその後も劇場にお客さんとして何日か通い  、ステージを観て下さいました。そのうちに、私達ストリッパーをとても好きになって下さったようで、ステージを観て下さった上で  思ったことや私達に対する想いを手紙にして、差し入れとともに渡して下さったりしました。 その後、手紙等で高野さんがストリップに対して思ったことや、私が思っていることをやりとりしているうちに、 高野さんが執筆の話をもちかけて下さいました。実は私は他の雑誌でも連載をしていて、正直自分に文才があるとは思っていないので、 二つの連載ができるか悩みました。でも最近私はストリップ以外にお芝居等の活動もかなり積極的にするようになっていて、 ストリップ以外の話題も書ける場は必要かもしれないと思い、このお話を引き受けさせていただくことにしました。 これから私の拙い文章に付き合っていただくことになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
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 そんなわけで、まずは自己紹介をさせていただきます。名前は若林美保です。
この名前は、当時所属していたプロダクションの社長につけてもらいました。その当時私は世田谷区若林という所に住んでいて、 女優の美保純さんに似ているからという理由で若林美保という名前になりました。そのプロダクションでは、特にストリップを 薦めているわけではなかったし、そこの所属のタレントさんで誰かストリップをしている人がいたわけではありません。 だから、もともとは踊り子として付けられた名前ではありません。 しかし私はとてもストリップに興味があり、 どうしてもストリッパーになりたかったので、そのプロダクションの社長の知り合いで、劇場と付き合いのある プロダクションの方を通して、めでたくデビューすることになりました。あ、ちなみにここではストリッパーと踊り子は 同じ意味で使わせていただいています。
 ストリップに興味があると書きましたが、本当は何にでも興味があって、映画やビデオ、グラビアも同じくらい興味はありました。  もともと小さい頃から生活時間の多くをテレビを見て過ごしていたこともあり、単純にブラウン管の向こうにいる人への憧れを  持っていました。しかし両親が望んでいたのは、普通に小学校、中学校、高校を卒業して、よい大学に入り、よい社会に就職して、 よい人を見つけて結婚してというごく一般的な進路でした。そして、芸能関係みたいな俗的な安定した収入の望めない職業は、 絶対に許さないと言われていました。 もしかすると、絶対にダメと反対されていたからこそ、余計に憧れは増してしまったのかもしれません。
今考えると、何一つ不自由ない家庭ですし、自分は贅沢者だなぁと思います。しかし、その頃は自分のしたいことが出来なくて、 たとえ金銭的に恵まれていなかったり、家族に恵まれていなかったりする方だとしても、今の自分には絶対に許されないことが 出来る人が羨ましくてしかたありませんでした。

若林美保

 高校生になると、これから自分が何で生活するかをちゃんと考えないとならなくなりました。
そんな時でもやはり憧れは消えてはいませんでした。そこで、自分の置かれている環境の中で、憧れに近づくように 、たいして何か出来るわけではない私なりの悪あがきをしていきました。  生徒会の副会長を二期やり、定期試験では上位に入るように普段の授業はその日のうちに頭に入れ、  小さい頃からやっていた水泳でインカレに出場したり、とにかく内申をよくしました。  その上でかなり自分の学力を上回る某国立大学へと一般推薦に挑戦してみました。その結果、なんとか合格してしまいました。  ところで、なぜ国立大学の一般推薦を受けようかと思ったのかというと、実家からかなり遠くの土地に行き  、一人暮らしをしたかったからです。一人暮らしをするには、私立の大学ではごく一般家庭のわが家にとって、  かなりの負担になってしまいす。国立ならまだなんとか許してもらえるだろうかと甘い期待をしました。  両親はというと、金銭的にはかなり負担があったと思うのですが、かなりよい大学であったこと、早い時期に大学が決まったことで、  受験の費用がかからなかったこと、それ以外にもいくつかの理由があって、快くその大学へ進学することを許してくれました。
 さて、これから大学で私の悪あがきの続きが行われるわけですが、ちょっと長くなってしまったので又の機会に持ち越したいと思います。  自己紹介のつもりが、若林美保の成り立ちの話になりつつありますが、その辺は徒然なるままに...。
 今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

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